2019年10月05日

核兵器廃絶に向けてすべての人が力を合わせましょう

核兵器の廃絶は、戦争で片腕を失った叔父が、私がまだ子供だった頃から、正月には法多山など初もうでの人がたくさんいるところで、カンパををめたり署名をしたりそんな行動を何となく知っていたこと。
両親の結婚式が1954年の4月1日だったため、その年の3月1日にはビキニ諸島で水爆実験が行われ、結婚式にはお刺身がなかったことを聞かされて育ちました。
袋井だったため焼津は近く、マグロやカツオはよく食べていました。
きっとそんなことが核兵器廃絶運動のベースだったと思います。初めて母親になった年に日本母親大会に行きました。すごい衝撃でした。日本中の母親が全国各地で平和や、暮らしを守るために頑張っている姿を見ました。
広島で行われた母親大会には、母と、私、2人の娘たち 孫3人、長女の義母と参加。2010年、2015年NPOにも行き、サーロ節子さんとも会うことができました。
2年前の原水爆禁止世界大会には当時中学2年だった孫も一緒に参加しました。
核兵器が亡くなればそれだけで地球上で起きている様々な問題を家解決するお金が浮いてきます。
国民大運動実行委員会で奈良県連絡会の結成を呼びかけました。

「被爆者署名推進奈良県民の会結成の呼びかけ 案

来年2020年は、NYで原水爆禁止世界大会(4月24,25日)が開かれることになりました。またNPT再検討会議(4月27日から)も開かれ同時期に実施されます。
いよいよ核兵器廃絶に向けてダイナミックな取り組みが求められています。
2017年7月7日に核兵器禁止条約の決議が国連で決議され、これまで生物化学兵器は禁止されていましたが、核兵器については全くルールがありませんでした。
決議されたのは、これまで頑張ってきた被爆者の皆さんの自らをさらけ出して核兵器の悲惨さを訴え続けた勇気と情熱、そして核兵器は人間として生きることも死ぬことも許されない、非人道的な兵器であり絶対に許されない、人類と核兵器は絶対共存できないという思いが世界を動かしました。
ところがいまだに日本政府は署名すらしていません。世界ではすでに79か国が署名して、批准した国は32か国に及んでいます。条約の実装まであと18か国と迫っています。
奈良県においては2010年にNPT再検討会議に県内の全首長の核兵器の廃絶を求める被爆者署名に賛同いただき、全国で初めての取り組みとなりました。その結果、その後奈良県のすべての自治体が平和首長会議に参加して、非核自治体宣言を行っています。
また奈良県議会においては2017年2月には核兵器廃絶を求める決議を全国に先駆けて全会一致で可決しました。県下の自治体は3市1村9町にて核兵器禁止条約の署名や批准を日本政府に求める意見書が採択されています。
1955年に第1回世界大会が広島で開かれ、広島市長の呼びかけで平和首長会議が作られました。平和首長会議は核兵器廃絶の目標を2020年としています。
奈良県の被爆者や2世の方が呼びかけ人なって、核兵器のない世界を作る大きな取り組みを奈良県で広げ、核兵器廃絶を求める被爆者署名を多くの県民に呼びかける県民会議を作ることを提案します。
来年の春、奈良県から多くの署名と代表団を送り出そうではありませんか。


posted by みっちゃん at 06:08| Comment(0) | 日記
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