2019年10月06日

核兵器廃絶に向けて胎内被曝者濱住次郎さんのお話

ならコープ平和ライブラリー開設記念講演会に参加させていただきました。新しくできたコープふれあいセンター六条はカーナビになく迷いながら当直。胎内被曝者として初めて国連の会議で報告された濱住次郎さんのお話を聞かせていただきました。
1045年8月6日。お父さんが会社に出かけたまま帰ってこず見つかったのは、ベルトの金具と、鍵、がま口の金具だったそうです。49歳でした。濱住さんはお母さんのおなかの中にいましたが、身重のお母さんに代わって探しに行ってくれたおじさんも間もなく亡くなったそうです。被爆地から一駅離れていた濱住さんの家には一時30人もの人が焼けただれ身を置く場もなく来られていたそうです。12世帯8戸の隣組で10名が亡くなっています。濱住さんは49歳になった時に、生まれる前から被爆syの烙印が押されたことも意味父親の倍生きたいと「人間の尊厳」「人間の回復」を求めるたたかいに参加していきました。
濱住さんのお話を聞きたいと参加しましたが、次世代に記憶遺産を継承していこうと平和ライブラリーの開設記念であったことに感激しました。
奈良県の被爆者の歴史を掘り起こし、後世につたえるる取り組みをされている入谷方直さんのお話も、若草の会や伏見南小学校で被爆者の方を招いてお話て聞く取り組みがされていたこと、吉田病院の被爆者検診の記録などもあり、今残して語り続ける大切さを実感。来年NPTに参加されるカーン陽子さん、奈良県立大学の生協の取り組みや高校放送部のDVDの取り組みなど、県内で様々な核兵器カウ絶の取り組みが行われていることを知ってとても勇気をいただきました。
私も奈良県の全自治体の首長さんが賛同していること、平和首長会議や非核平和自治体宣言が行われていること、県議会で核兵器廃絶を求める決議が上がったことを報告。若草の会はなくなりましたが2世の方など呼びかけて被爆者署名をダイナミックに広げる県民の会ができたらいいと思っていることを発言しました。
来年に向けて、平和の思いを一つにして核廃絶の大きな力にしたいものです。
posted by みっちゃん at 19:16| Comment(0) | 日記
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