2021年12月16日

平和活動は大忙しです、非核の会、憲法署名スタートアップ集会

赤旗を見て飛び込んだのは、モンゴルが核兵器禁止条約を比重したというニュース。これで57か国になります。
モンゴルは1992年9月に自国領域を非核兵器地帯とすることを宣言し、核保有国に対し非核地帯としての地位を尊重し安全を保障するよう求めました。この地位は98年の国連総会決議で承認されました。
米英仏中ロの5つの器国とモンゴルは2012年モンゴルについて非核地帯としての地位を尊重する共同宣言に署名しました。こんな方法があるのを初めて知りました。

非核の政府をつくる会主催の学習会。お話は 高橋博子奈良大学文学部史学科(アメリカ史、グローバルヒバクシャ研究)の{核兵器禁止条約発効に寄せて―核抑止力論と被爆からの脱却」でした。

核兵原爆投下直後のアメリカで報道されていたことは空中爆破だから爆発後1分間の初期被爆の影響はあってもそれ以降の残留被爆の影響はないというもの。アメリカ軍の記者が別行動で写した映像は原爆投下から1か月過ぎても原爆症としか言いようのない道の理由でいまだに不可解、かつ悲惨にもなくなっているという記事がディリーエクスプレスに掲載されます。
マンハッタン計画副責任者のファーレル准将は広島の廃墟に放射線なしと記者会見しニュヨークタイムズが掲載。原爆直後に救援に入って被爆したことも、爆発以前に疎開命令で広島に入った人が幕まきこまれて大生の死傷者が出たと入市被ばくを否定します。
アメリカスミソニアン博物館に提示されている原爆の写真は、きのこ雲と、廃墟の町は紹介されてもきのこ雲の下であったことは全く紹介がありません。
1954年のビキニ環礁での水爆実験では第5福竜丸の乗務員やアメリカ兵が被爆。アメリカは反核世論が起きることを恐れて金銭解決を急ぎました。しかし被爆した船は残留放射線があるため防護服もつけずに甲板の床をブラシでこする、福島原発事故の時にお友達作戦できたドナルドレーガン駆逐艦も甲板をブラシでこすっている18,9歳の若い人たちの写真が紹介されました。
核開発の中でさらなるヒバクシャを生み出した責任は重い。
残留放射線への過小評価は今日もなお続いている。アメリカの国民向けの映画では原爆が投下されたら亀のように頭を抱えてうずくまる物陰に隠れたら大丈夫と宣伝。これはJアラートで建物の陰に隠れることや頭を抱えてうずくまるという注意は全く変わっていません。
いずれも残留放射線の影響を軽く見ているところから生まれています。
真実をしっかり見ていけばおのずから答えが出てくるように感じました。

広陵9条の会の世話人会。憲法改正ストップの取り組みについて話し合い。
4時から王寺駅前で宮本次郎元県議や生駒郡の皆さんと一緒に憲法改正ストップ署名のスタートアップ活動。
この日のために用意した看板が光っていました。

今日は1日中平和のことで忙しかった費になりました。
日本沈没の最終回。たくさんのメッセージがありました。

posted by みっちゃん at 19:26| Comment(0) | 日記
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